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神戸地方裁判所 昭和59年(行ウ)2号 判決 1985年1月31日

原告

橋本勝彦

被告

神戸東労働基準監督署長

内藤信夫

右指定代理人

奥田喜代志

外二名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一本件災害の発生と治癒に至る経過等

請求原因1項の事実は当事者間に争いがなく、右事実に、<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

1  原告は昭和一六年四月二七日生れの男子であるが、一八歳の時から食肉関係の仕事に従事した後、同四六年一月一六日株式会社ダイエーに雇用され、同年三月ころから食肉の調理及び販売の業務を担当し、同四八年二月ころからは同会社灘支店において同業務に従事するようになつた。

2  原告は同年三月一八日業務に従事中急性腰痛症を起こして以来、本件災害に至るまでの間に同四九年二月ころ、同五〇年一一月ころ及び同五一年六月ころの三回にわたり急性腰椎症を発症し、同四八年七月に長整形外科医院(以下「長医院」という。)で腰椎椎間板ヘルニアとの診断のもとに手術を勧められ、また同四九年ころ神戸労災病院において頸椎椎間板ヘルニアと診断されたほか、同五一年六月一九日には長医院において椎間板ヘルニアと、また同年七月一日には兵庫医大病院において筋肉性腰痛症とそれぞれ診断されており、結局、同四八年三月から本件災害発生に至るまで、腰痛を主たる症状とする障害を継続して有していた。

なお、右の急性腰痛症のうち、最後の同五一年六月ころに発症したものについては、業務に起因するものとして法による手続がされておらず、私傷病扱いとなつている。また、原告は本件災害発生後においても右の腰痛障害に関連して、兵庫医大病院において同五二年七月から同五三年一〇月までは胸部出口症候群、頸椎椎間板ヘルニアの診断名で、同五五年五月一六日から同年六月三〇日までは頸椎椎間板ヘルニアの診断名で治療を受ける等しているが、現在に至るまで完治しておらず、腰痛症状が続いている。

3  原告は、同五一年八月一七日午前一一時三〇分ころ、右灘支店において、台車の上に七段に積み重ねられていたバッカ(食肉を入れた容器で、一個の重量は一三ないし二〇キログラム)を冷蔵庫に入れるため、一番下のバッカに手かぎをかけてこれを台車から引きおろした際、右肩から背中にかけてガクッと衝撃を受け、息もつけないくらい重苦しくなつた。そこで、当日は仕事をすることなく定時まで休息し、退社後長医院で受診して背部の痛みや手のしびれ等を訴えたが、格別の診断ないし治療はされず、翌日以降も出勤していた。

しかし原告は、同月二四日就業中に右腕の脱力感が強くなり気分不快で吐気を覚える等したため、早退して村田整形外科で受診したところ、外傷性右肩関節炎、右僧帽筋附着部炎と診断され、以後休業加療に入つた。

4  その後原告は、同年九月二日までは村田整形外科に通院し、同月一日から同五二年二月一〇日までは長医院において「頸椎捻挫、頸肩腕症候群」の傷病名で、翌一一日から同月二八日までは東神戸病院附属西診療所(以下「西診療所」という。)において「頸肩腕症候群」の傷病名で、同年三月一日から同年四月二〇日までは鳥取医療生協鹿野温泉病院において「前斜角筋症候群」の傷病名で、翌二一日から同五三年一〇月一〇日までは西診療所において「外傷性肩関節炎、(頸肩腕症候群)」の傷病名で、翌一一日から同年一二月一〇日までは荻原整形外科病院(以下「荻原病院」という。)において「頸髄損傷」の傷病名で、翌一一日から同五五年九月一〇日までは西診療所において「外傷性肩関節炎」の傷病名で、さらに同月六日から同年一一月一八日までは荻原病院において「頸部症候群」の傷病名で、それぞれ治療を受け、同日同病院の荻原一輝医師から、本件災害による傷病が治癒(症状固定)したものとして、その残存障害について法一五条による障害補償給付を請求するための診断書(乙第一号証の二)の交付を受けた。

なお、原告は本件災害後同五一年九月一日から同五五年九月一〇日まで、法一四条による休業補償給付を支給されていた。

二本件処分に至る経緯等

請求原因2項の事実は当事者間に争いがなく、右事実に、<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。

1  荻原病院の荻原一輝医師が同五五年一一月一八日作成した前記診断書には、原告の本件災害による治癒時の残存障害について、原告の愁訴として「入浴時、朝の洗顔時、字を書いたり洋服のボタンを止める時及び戸の開け閉めの時に手がしびれる。座つて手を膝の上についていてもしびれ、歩行時にはポケットに手を入れていないとしびれる。新聞を持つ時には手がふるえ、食事の時には軽いはししか持てない。少し厚着をすると肩がこる。」旨が記載されており、一方、同医師の診断として「頸椎の側屈制限があるが、前後屈は正常で、回旋も良好であり、病的反射はなく、膝蓋腱反射はやや亢進しているが、アキレス腱反射は正常である。右顔面から躯幹、上下肢にかけて知覚低下を訴え、特に右尺骨神経領域に著明である。」旨が記載されていた。

2  原告は、右診断書の交付を受けた同日ころ、被告に対しこれと一体となつた法一五条による障害補償給付支給請求書を提出したが、その後間もなく右荻原医師に対し治癒の判定の延期を申出たので、同医師も同月二六日付の書面をもつて、被告に対し原告の意向を伝え、この際他の医師の判断も得て欲しい旨申出た。

そこで被告は、同五六年一月一六日付で兵庫医大病院に対し、原告の前記残存障害等について意見を求めたところ、同月三〇日付で同病院の円尾宗司医師作成の意見書(乙第五号証)が提出された。

同医師は、原告が前記認定のとおり同病院で診断ないし治療を受けた際にこれを担当した医師であるが、右意見書は同医師が新たに原告を診察したうえで作成されたものであるところ、同書には、原告の訴え等として「上肢A・D・L(上肢日常生活動作)については、ボタン動作は手がジンジンするが可能であり、箸動作は新品の割ばしなら持てる。下肢については、平地歩行は可能、階段昇降は困難、走行は手がしびれるのでできない。第四胸椎の圧迫で右上肢尖端に放散痛の訴えがある。」旨が記載されており、一方、検査成績等については「頸椎運動は後屈にやや制限がある。生理的前彎は上向きに反り、前屈指尖は下腿の三分の一までで、後屈制限及び後屈時の疼痛が認められ、腹筋々力はかろうじて可である。スパーリング(椎間孔圧迫テスト)では右が異常ありともなしとも言える程度で、イートン(腕神経伸張テスト)では右に異常があり、腕神経叢テストでは左右ともに異常が認められるが、T・S・R(三頭筋腱反射)、B・S・R(二頭筋腱反射)、P・S・R(膝蓋腱反射)及びA・S・R(アキレス腱反射)はすべて左右とも正常で、ホフマン反射(病的反射)及び知覚障害はいずれも左右ともに異常はない。足趾の知覚障害は右が異常ありともなしとも言える程度であり、ラセグ症候(坐骨神経伸展テスト)では左右とも異常はなく、足趾筋力は左右とも正常で、ハムストリング緊張(下肢挙上テスト)は左右とも七〇度であり、握力は左が三七キログラム、右が三八キログラムである。」旨記載されており、さらに同医師の総合的意見として「X線写真では脊髄に軽度の退行変性所見を認めるのみで、同五二年九月に施行したミエログラフィ(脊髄造影法)でも頸、胸、腰椎に著変を認めない。初診以来、第四胸椎棘突起圧迫による右上肢への放散痛が一定した愁訴であり、他の不定愁訴も多いが、いずれも脊椎レベルでは理解しにくい。」旨が記載されていた。

そして、被告が同五六年二月二〇日同医師に対して右意見書の詳細について照会したところ、同医師は、原告の症状が固定しているものとし、その障害等級については第一二級の一二の「局部にがん固な神経症状を残すもの」に該当するものとして処理するのが妥当であるとの意見を述べた。

3  その後被告は、原告が提出していた前記障害補償給付支給請求書を同年三月一六日付で正式に受理し、以上の荻原医師の診断書及び円尾医師の意見書のほか、清水克己調査官(労働事務官)が同月三〇日付で作成した障害状態調査書(乙第二号証)等を参考にして、原告の前記残存障害が障害等級第一二級の一二(局部にがん固な神経症状を残すもの)に該当するものと認定し、本件処分をした。

右の障害状態調査書には、原告の自訴及び外見について「右荻原医師の診断書記載の愁訴以外に、走行時の右上肢のしびれ及び背中の圧痛がある。外見上は特に異常は認められない。」旨、また原告の関節機能角度測定値について「頸部の左屈及び右屈がともに三五度で領域七〇度である(標準は、左屈右屈とも五〇度の領域一〇〇度である。)。頸部の前後屈、左右回旋及び両上肢の機能運動に異常は認められない。」旨、さらに意見として「障害等級第一二級の一二に該当するものとすることが妥当と思料する。」旨記載されていた。

4  原告は、本件処分を不服として、同年五月一三日兵庫労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが、同審査官は、兵庫労働基準局労災医員の折原正美医師が同五七年一月五日付で作成した意見書(乙第八号証)を参考にするなどして、同月二九日右審査請求を棄却する旨の裁決をした。

右意見書には、原告の現症について「頸部の運動に際して痛みを訴え、特に後屈に際して背部に放散する痛みを訴えるが、頸椎運動はほぼ正常である。右手にしびれ感がある旨を訴えるが、手指の機能に異常はなく、上肢の腱反射にも異常を認めない。右肩関節の挙上運動に際して痛みを訴えるが、運動の範囲は正常である。両上肢の肘関節部にも痛みを訴えるが、肘関節の機能は正常である。また内外の上顆部に圧痛を訴えている。さらに腰痛も訴えるが、腰椎部に軽度の前屈制限があるほかは他覚的に特に異常所見を認めない。X線では、頸部、腰部ともに異常所見は認められない。」旨記載されており、さらに意見として「以上の現症等から考えて、第一二級の一二以上の症状とは考え難い。」旨記載されていた。

5  原告は、さらに右審査請求棄却の決定を不服として、労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は同五八年九月一日付で右再審査請求を棄却する旨の裁決をした。

なお、大阪府職業病センターの水野洋医師は、本件処分後である同五六年五月二七日の時点における原告の症状を、頸部の神経圧迫による上肢のしびれ、痛み、頸部の運動痛、上肢の運動能力の低下及び腰痛症状である旨診断した。

三本件処分における障害等級認定の適否等

1 法一五条の障害補償給付の対象となる障害についてその障害の程度を列挙した障害等級表(法施行規則別表第一)は、まず身体を解剖学的観点から部位ごとに区分し、次いで各部位における身体障害について器質又は機能の面から分類し、例えば、頭部、顔面、頸部の部位であれば器質の面での醜状障害、眼球の部位であれば機能の面での視力障害、調節機能障害、運動障害及び視野障害というように一種又は数種の障害に系列化し、さらに各障害をその労働能力喪失の程度に応じて等級づけ、これを第一級から第一四級までの一四段階の中に配列することによつて組み立てられている。

2  そこでまず、同表に照して前記三において認定した荻原医師の診断書、円尾医師の意見書、清水調査官の障害状態調査書、折原医師の意見書及び水野医師の診断(以下、これらを「本件医証」という。)から認められる原告の自覚的及び他覚的な症状(ただし、腰痛症状を除く。同症状については、前記二において認定した事実、特に原告が本件災害前から同症状を有していたこと、本件災害時には右肩から背中にかけて異常が発生したものであること等からして、本件災害との間に因果関係がないものというべきである。)につき、これが該当する障害の部位を検討すると、一応、「神経系統の機能又は精神」、「頭部、顔面、頸部」のうちの頸部、「せき柱」、「上肢」及び「手指」の各部位が考えられる。

しかし、同表に掲げられた頸部における障害の系列は醜状障害のみであるところ、原告にはこれがないことが明らかである。また、せき柱における障害の系列は奇形(変形)障害及び運動障害が掲げられているところ、前者については、円尾医師はX線写真では脊髄に軽度の退行変性を認めるのみで、ミエログラフィーでも頸、胸、腰椎に著変を認めないとし、折原医師はX線では頸部、腰部ともに異常所見は認められないとしていることからすれば、原告にはせき柱の奇形(変形)障害はないものというべきであり、後者については、頸椎運動に関し、荻原医師は側屈制限があるが他は正常とし、円尾医師は後屈にやや制限があるとし、清水調査官は側屈の領域が標準の七〇パーセントであるが他に異常はないとし、折原医師はほぼ正常としていることからすれば、原告には障害等級上の、すなわち労働能力喪失を伴うせき柱の運動障害はないものというべきである。さらに、上肢における障害の系列は、欠損障害、機能障害、奇形(変形)障害及び醜状障害が掲げられ、手指における障害の系列は欠損障害及び機能障害が掲げられているところ、原告には右のうち機能障害を除く各障害はないことが明らかであり、機能障害についても、原告の愁訴が強いところではあるが、清水調査官は両上肢の機能運動に異常はないとし、折原医師は手指の機能及び上肢の腱反射に異常はなく、右肩関節の運動範囲及び両上肢の肘関節の機能は正常であるとしていることのほか、円尾医師による各種検査の結果、特に握力の数値等からすれば、原告には上肢及び手指の機能障害はないものというべきである。

一方、原告には各種の神経症状が存在することが明らかであり、以上から考えると、本件医証から認められる原告の症状は、神経系統の機能又は精神の部位における障害に該当するものと認めるのが相当である。

3 次に同表によれば、同部位における障害の系列については、障害等級第一級の三、第二級の二の二、第三級の三、第五級の一の二、第七級の三、第九級の七の二、第一二級の一二、第一四級の九と合計八段階の区分が設けられている。

被告は、本件処分において、原告の本件災害による治癒時の残存障害が右の第一二級の一二に該当するものと認定したのであるが、これより一段階上の第九級の七の二をみると、「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」とされているところ、本件医証から認められる原告の症状がこれに該当する程度に至つているものとは到底解し難い。

4 原告は、本件災害治癒後の残存障害として、手のしびれ、背中の痛みが強く、食事中座つていることができず、また手で茶腕、はしを持つことができないほどの障害がある旨主張し、原告本人尋問において、これに沿う供述をしているほか、同尋問の結果により成立を認める甲第五号証(原告作成の再審査請求の理由と題する書面)にも右と同様な自覚症状の記載があるが、これらはいずれも本件医証において原告の愁訴等として言及されているところと同旨であると認められるから、右3における判断を左右するものではない。

5  そうすると、結局、本件処分には原告主張の違法はないことに帰する。

四結論

以上の次第で、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(中川敏男 上原健嗣 小田幸生)

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